7つの海の向こうで 第1回 ニカラグア

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第1回 ニカラグア-社会情勢の悪化を乗り越えて

 

海外における日本語教育は、130の国と7つの地域で行われています。実施機関数:1万6179、教師数:6万4097人、学習者数:365万5024人※1と、数だけを見れば日本国内における日本語教育(実施機関・施設等数:2012、日本語教師数:3万6168人、日本語学習者数:19万1753人※2)を大きく上回っており、その内容も多様ですが、同業であるはずの国内の日本語教師にさえ、その実情をあまり知られていないようです。そこで、各国の日本語教育を伝えてもらう新連載を始めます。

※1 国際交流基金「2015年度海外日本語教育機関調査」より
※2 文化庁文化部国語課「平成27年度 国内の日本語教育の概要」より

 


《今回の筆者》黒田直美 日本語教師。JICA青年海外協力隊日本語教師隊員として2012年~2015年の3年間、ニカラグアで日本語教育に携わる。2018年から沖縄科学技術大学院大学(OIST)に勤務。海外日本語教育学会で研究例会運営委員を務めるかたわら、現在もニカラグア日本語教育への遠隔支援を続けている。いつか世界一周旅行をしながら教え子を訪ね歩くのが夢。


 

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現地日本語教師から

ニカラグアの現地人日本語教師から国の日本語教育を紹介するビデオを送ってもらいました。

 

ランドル・メザ先生(中米大学日本語講座代表、在ニカラグア日本大使館職員)

 

アンジャリ ゴメス先生(中米大学日本語講座教師・日本ニカラグア舞踊団代表)

 

第1回は、こんな人たちが活躍しているニカラグアの日本語教育について、黒田さんに紹介してもらいます。

 

ニカラグアってどんな国?

みなさんは、ニカラグアという国をご存知ですか?今回はニカラグアの日本語教育事情について少しお話させていただきますが、その前に、まずは国の概要を簡単にお伝えしたいと思います。

ニカラグアはメキシコと南米大陸の間に位置する中央アメリカの国で、人口約621万人(2017年世界銀行調べ)の共和制国家です。国土は日本の3分の1ほどですが、中米諸国の中では最も広く、農牧業が国の主要な産業となっています。中でも、ニカラグア産のコーヒー、ラム酒、牛肉は品質が良いとされ、欧米を中心に輸出されています。公用語はスペイン語で、国民の多くはカトリック教徒です。歴史的には他の周辺諸国と同様、長きにわたりスペインの支配下におかれ、19世紀に独立したあともアメリカの進出やその後の内戦勃発、大統領の汚職、革命などにより政治的混乱が続きました。そのため、中米は治安が悪いというイメージをお持ちの方も多いかもしれませんね。確かに、日本と比べたら首都の治安はあまり良くありませんが、夜間に1人で外出しない、貴重品や大金を持ち歩かない、危険な区域へは立ち入らないなど、海外で一般的に避けるべき行動に留意していれば、ニカラグアでは日常生活で危ない目に遭うことはめったにありません。中米の中では比較的安全な国と言われています。

ですが、残念ながら現在、そうとも言い切れない状況になってしまいました。2018年4月に、現大統領が社会保険法の改正(所得税の引き上げと年金受給額の引き下げ)を大統領令として公布したことを発端に、300名以上の市民が死亡する大規模な暴動が発生したのです。法律の改正に反対する市民の非暴力的な抗議デモを、治安警察と政府側の暴徒化した市民が武力行使によって無理やり鎮圧しようとしたために政府と市民の激しい衝突が起きました。現在は沈静化してはいるものの、依然として不安定な社会情勢が続いています。この一連の暴動により、JICAの青年海外協力隊とシニアボランティアはニカラグアからの撤退を余儀なくされ、後述する日本語教育事情にも大きな影響を与えました。

このように書くと、ニカラグアは危険で凶暴な国のように聞こえてしまうかもしれませんが、決してそんなことはありません。ニカラグア人は温厚でおおらかな人が多く、人懐っこくて、それでいてシャイなところや他人への気遣いなど、日本人と気質が似ているところがあります。観光業は、近隣のグアテマラやコスタリカほどは発達していませんが、手つかずの自然が多く、素朴で、どこか懐かしいような感じのする場所がたくさんあります。ちょっと寄ってみたぐらいではその良さはわかりづらいけれど、長くいればいるほど好きになる。ニカラグアは、そんな国なのです。

 

ニカラグアの日本語教育

さて、前置きはこのくらいにして、ニカラグアの日本語教育の話に入りましょう。

国際交流基金の「日本語教育 国・地域別情報」の報告によれば、ニカラグアで日本語教育が開始されたのは1986年頃とされています。筆者の調べでは、この当時農業分野でJICA専門家をしていた男性が日本語を教えていたという情報がありますが、当時を知る大使館職員の方のお話ではそのような事実は確認できておらず、誰がどのように携わっていたかは明らかになっていません。ただ、1995年に青年海外協力隊日本語教師隊員(以下、隊員)の派遣が開始される前までの数年間、現地在住邦人の女性が中米大学で日本語を教えていたことはご本人への取材により確かであるため、遅くとも1990年代前半には日本語教育が始まっていたと言えます。

メキシコやグアテマラなど日本語教育の歴史が長い他の周辺諸国と比べると、ニカラグアの日本語教育はまだ30年弱と短いのですが、2011年にはニカラグア日本語教育史上初のニカラグア人日本語教師が誕生し、さらに、ここ7~8年の間は隊員による現地教師の育成がおこなわれ、ニカラグア人日本語教師は5~6名に増えました。そのうちの半数以上が国際交流基金の海外日本語教師長期研修プログラムに参加し、日本で半年間の教師研修を受けるなど、指導力や教材開発の向上に努めています。また、前述の通り隊員の撤退によって現在は日本人教師が不在となってしまい、さらに暴動の影響で大学が数ヶ月間にわたり閉鎖となったことから多くの学生が国外に出るなど、厳しい状況が続いています。それでも、ニカラグア人教師たちはニカラグアから日本語教育を絶やすことなく、治安の状況を見ながら少しずつ日本語の授業を再開させ、日本語講座を自分たちの力で運営しています。

ニカラグアの日本語教育事情を教育機関や学習者の面から見てみると、他の中米諸国とは異なる特徴がほかにもいくつかあります。

一つは、教育機関の数です。ニカラグアは中米の中で国土が最も広い国ですが、日本語教育機関の数は中米の中で最も少なく、つい数年前までは首都にある中米大学が国内唯一の日本語教育機関でした。中米大学は1960年に創立された総合大学で、一般市民を対象とした外国語講座を通年で開講しています。日本語のほか、英語、フランス語、ドイツ語の講座があり、日本語は初級と中級のクラスがありますが、2018年12月現在、日本人教師不在の関係で中級クラスは開講していません。学習者は大学生のみならず中学生から社会人まで年齢層は幅広く、暴動が起きる前は100名近くの学習者が受講していました。アニメやマンガをきっかけに日本語や日本文化に興味を持つ人が多いですが、学習動機は日本に国費留学したい、語学学習が好き、未知の文化圏への興味・関心など、実利的なものから教養的なものまでさまざまです。日本語講座は大学の正規科目ではないため単位はありませんが、全体的に学習者のモチベーションが高く、講座を修了しても何らかの形で日本語講座に長年関わり続ける人が多いのもニカラグア日本語教育の特徴と言えるかもしれません。

また、中米大学には日本語講座のほかに「きずな館」という日本文化教室棟が2016年に建てられ、書道や折り紙、アニメ、J-POP、料理、工作、手芸などの文化体験や、日本の伝統行事について学ぶことができるようになっています。この文化教室が設立された2005年当初は、「ニカラグア市民に広く日本文化を知ってほしい」という想いから当時の隊員が立ち上げたのですが、文化教室の運営に学習者が関わることによって、今では異文化理解としての機能のみならず、現地教師育成としての大切な役割をも果たすようになり、教師育成のモデルケースとして周辺諸国からも注目を集めています

 

中米カリブ日本語スピーチコンテスト出場

次に、最近のエピソードを1つご紹介しましょう。中米カリブ地域では、2008年に中米カリブ日本語教育ネットワークという、国を超えた教師会のようなつながりができ、その活動の一つとして「日本語ビデオコンテスト」と「日本語スピーチコンテスト」が毎年交互に開催されています。2018年はスピーチコンテストの年で、10月にドミニカ共和国での開催が決まり、各国のコンテスト優勝者が国を代表して出場することになっていました。ただし、今年は国際交流基金からの助成金が大幅に削減されたため、出場者の航空券代は自費で負担しなくてはならない状況でした。そこで各国では、現地教師のカンパや、スポンサー企業にバックアップしてもらうなどして何とか費用を工面したのですが、ニカラグアはここでも暴動の余波を大きく受けることになります。ニカラグアには日系企業の進出がほとんどなく、唯一の進出企業も暴動以降、責任者の方が国外退避せざるを得なくなりました。さらに、大学閉鎖の長期化により日本語講座の休講が続いたため、現地教師たちの収入が途絶えてしまったのです。

そのような状況で、800ドル以上の往復航空券代を現地で調達するのは非常に困難なことでした。ニカラグア国民1人当たりの年間所得(GNI)が2,050米ドル(2016 年世界銀行調べ)であることからすると、800ドルはとても高額です。でも、学習者をなんとか出場させたい。日ごろの学習の成果を味わってほしい。現地教師たちのその想いを何とかしようと、一時退避中の日本語教育隊員を中心に、歴代の日本語教師隊員たちが協力して、クラウド・ファンディングによる支援金集めをおこないました。他職種のニカラグア隊員や関係者の方々に支援を呼びかけた結果、航空券を買える支援金が集まり、ニカラグアからのスピーチコンテスト出場を無事に果たすことができたのです。惜しくも入賞は逃しましたが、今回は不安定な社会情勢に負けず、多くの方々のご支援のおかげで元気に出場することができて本当によかったと思います。

以上、ニカラグア日本語教育の概要と、ここ最近のエピソードとして中米カリブ日本語スピーチコンテストについてのお話をさせていただきました。笑いあり泣きありのエピソードは、ほかにもたくさんあるのですが、日本から1万2000km以上も遠く離れた中米ニカラグアの日本語教育について、この記事を通して少しでも多くの方に知っていただけるきっかけとなれたらうれしく思います。

 

ニカラグアの日本語教育の今後

これから先、ニカラグアの社会情勢がどうなるのか、日本語教育隊員の派遣は再開されるのか否か、今はまだわかりません。でも、仮にこのままずっと派遣されなくても、この国から日本語教育が途絶えることはないでしょう。歴代隊員の想いを受け継ぎ、学習者との絆を何よりも大切にする、すばらしい現地教師たちがいるのですから。

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