【第5回】外国につながる子どもへインタビュー!まとめ

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本記事は【第1,2,3,4 回】外国につながる子どもへインタビュー!の続きです。外国につながる子どもである、高校生のサミさんへインタビューした時の語りから、サミさんのアイデンティティを考察します。

第1回の記事はこちらから https://www.idobata.online/?p=2948

第2回の記事はこちらから https://www.idobata.online/?p=3108

第3回の記事はこちらから https://www.idobata.online/?p=3144

第4回の記事はこちらから https://www.idobata.online/?p=3312

まとめ

計4回にわたって同質⇔異質、受動的⇔能動的、連続的⇔非連続的を軸に、サミさんのアイデンティティの変容をダイナミックに捉えてきました。第2回の記事では、来日当初、サミさんは、自身をまわりとは違う存在であると感じていました。そして、それを自身のユニークな個性として認めず、まわりと違うことで遠慮したり緊張を抱いたりしていました。しかし、高校生になると、自身をまわりの友だちと価値観を共有するコミュニティの一員として捉えていました。第3回の記事では、クラスメートに誘ってもらう形から関係が始まっていた小学生時代に対し、中学生になると、サミさんは取り出し授業をうけている時間に実施されるグループ活動に入ってみたいと思うようになりました。そして、中学2年生からは、グループ活動に参加していました。それから、高校生になると、友だちをたくさんつくろうと努力する傍ら、アルバイトという新たなコミュニティにも属するようになりました。第4回の記事では、スリランカにいたころと日本にいるときで、サミさんのキャラクターが違っていましたが、現在は、スリランカにいた時の本来の自分を取り戻した状態でいました。

アイデンティティに揺れをもたらしたものとは

サミさんのアイデンティティは「元の自分」に戻ったり、反対に、「こうありたい自分」に向かったりして揺れていました。そのような変容をもたらした要因として、サミさんの属していたコミュニティがあると述べてきました。例えば、日本の小学校に転入してきたサミさんに対し、席が近く、同じ登校班となった子どもたちは、誰かが指示したわけでもないのに、難しい質問を避け、ジェスチャーを用いて、言語管理をしながら、サミさんをコミュニティに迎え入れていました。さらに、「ここうち(自分)の家だからいつでも来な」(抜粋9)と、サミさんにとって頼れる存在となることを表明していました。サミさんは、今でも彼女らを親友と呼び、付き合いを続けています。

 

上記の要因に加えて、そのコミュニティを受け入れ、その場面に適応してきたサミさんの多大な努力も要因の1つだったと考えます。サミさんは、インタビューの最終日に、このようなことを語っていました。

:来日して間もない人に対して、どんなアドバイスをしますか。
サミ:不安でも試してみるほうがいいと思う。やだなーと思って、あきらめるより、挑戦してやってみたほうがいいと思う。

(抜粋15)

サミさんは、第1回でも記述したとおり、複言語・複文化をもち、それらを用いて日本語学習、他者との関係構築、礼儀の習得などに尽力してきました。さらに、自分がやってみたいと思うことを叶えるために努力もしてきました。その過程には、抜粋15からわかる通り、サミさん自身が抱いていた不安や葛藤があったでしょう。しかし、そこで立ち止まるのではなく、前に進む勇気、力を振り絞って「やってみ」たことも、サミさんのアイデンティティが揺れた要因ではないでしょうか。

サミさんのまわりにいる(た)子どもたちからや、サミさんの努力から、私たちは学べることがあるのではないでしょうか。

 

謝辞

最後に、このインタビューの実施に尽力いただいた地域日本語教室の羽鳥さん、インタビューを快くご承諾くださったサミさんに、心より御礼申し上げます。

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