日本語教師の履歴書 第13回 絵野沢采子さん

最終更新日


vol.13 「学生のうちにコアを作る、来日後の学びを支える、学習者・企業・日本語教師の三位をハッピーにする」絵野沢采子さん

これから日本語教師を目指す人に、日本語教師の働き方にはどのようなものがあるのかを知ってもらうための連載。日本語教師や、日本語教育に関係する職に就いている人、日本語教育の勉強はしたけど別分野の仕事に就いた人、日本語教師から転職した人、転職して日本語教師になった人など、さまざまな形で日本語教育に携わる方々にお話をうかがい、日本語教師のキャリアについてみなさんと考えていきます。
今回は外国人材の採用・育成支援をしている会社に勤め、外国人材の研修プログラムの企画・運営をされている絵野沢采子さんです。


《今回の「日本語教師」》絵野沢采子(えのさわ・あやこ)さん 1992年埼玉県生まれ。早稲田大学文化構想学部在学中より、オーストラリア・インドネシアの教育機関における日本語教育実習を経て、タイの中等教育機関および中国のオンライン日本語学校にて日本語教育の研鑽を積む。大学卒業後、大手住宅設備機器メーカーの営業職として勤務。2017年より株式会社ワールディングにて、年間約1,500名の技能実習生の教育に携わる。高度人材(ベトナム人エンジニア)向けの日本語研修の企画・運営や日本語能力試験対策講座等も受け持ち、ASEAN諸国の日本語学習者に対し広く指導にあたっている。2020年2月より、同社ASEAN拠点(ベトナム/ハノイ)に駐在し、人生2度目の長期海外生活を満喫中。


《聞き手》瀬尾匡輝(せお・まさき/茨城大学准教授)、瀬尾悠希子(せお・ゆきこ/東京大学講師) 日本語教育を学ぶ大学生たちの「『仕事』としての日本語教育をイメージすることが難しい」という声を受け、いろいろな「日本語教師」に話を聞きに行くことに。


2020年1月27日、絵野沢さんが勤められている会社の会議室で約2時間にわたってインタビューさせていただきました。

「学生のうちに、ある程度の形は作っておこう」―大学で日本語教育を副専攻とし、オーストラリア、インドネシア、タイで日本語教育経験を積む

瀬尾ま 日本語教師になろうと思われたきっかけは何だったんですか。

絵野沢 これといった明確なきっかけはないんですが、最初に日本語教師のことを考えたのは、小学生の頃かもしれません。叔父2人がそれぞれ中国とアメリカに住んでいて、中国の叔父の配偶者は中国の方なんです。私が小学生のとき、その方が来日してお話しする機会があって。中級の下くらいの日本語レベルの人に対して、どうやったら伝わるのかと考えて、小学生の私は、簡単な言葉でゆっくり話したり、分かち書きのように区切って話したりしたんです。すると、なんか通じたんです。外国人が日本語を学んだり、外国人と日本語で話すってどういうことだろうなっていうのは、その頃から少し考え始めたのかもしれないですね。

瀬尾ゆ でも、大学では文化人類学を専攻されたんですね。

絵野沢 はい、成長していくなかで、音楽大学に行きたいなと思ったり、祖父が脳梗塞で半身不随だったので、福祉系のことを勉強して社会に貢献したいなと思ったりしたこともありました。それで、大学では医療人類学を学びたいなと思って、早稲田大学で文化人類学を専攻することにしました。大学受験のときは、日本語教育のことはあんまり考えていなかったんですが、アメリカや中国にいる従兄弟と日本語で話すのにちょっと役に立つかなと思って、副専攻で日本語教育を学ぶことにしました。

瀬尾ま 大学で日本語教育が学べることは、入学前から知っていたんですか。

絵野沢 はい、知ってはいたんですが、早稲田の学部には日本語教育専攻はありませんし、日本語教育は趣味みたいな感じで履修し始めました。でも、副専攻で日本語教育を勉強し始めて、本当にのめりこんでしまったんですよ

瀬尾ゆ どんな点が魅力だったんでしょうか。

絵野沢 自分が当たり前だと思っていたことを違う視点から見て、そして、気づきがあるのがおもしろかったんです。だから、2年生の前期、つまり入学から1年半で副専攻の認定に必要な単位は全部取りきってしまいました。

瀬尾ま瀬尾ゆ はやいですね!

絵野沢 それぐらいのめりこんでいたんです。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

絵野沢 2年生の夏休みに、日本語教育副専攻修了の証明書を持って、オーストラリアの小中一貫校に1カ月間日本語を教えに行き、そこで初めて教壇に立って、さらに日本語教育にはまってしまいました。副専攻の認定に必要な単位はすでに取り終わってはいたんですが、帰国後も、日本語教育関係の授業を取り続けました。そして、2年生の春休みはASEAN地域の大学で日本語指導支援や日本文化の紹介活動を行うプログラムに参加して、インドネシアの大学で日本語を教えました。

瀬尾ゆ インドネシアはどうでしたか。

絵野沢 うーん。私は、後々トイレメーカーに就職するぐらい水回りにこだわりのある人間なんです(笑)。でも、インドネシアの衛生環境は私にとっては少し厳しくて、朝ホテルでトイレを使ってからは、夜ホテルに戻ってくるまで1日トイレを我慢するみたいな感じだったんです。教えることは楽しかったんですが、やっぱりASEANは大変だな、オーストラリアのほうがいいなと思っていました。

教育実習をしたインドネシア・パジャジャラン大学にて

瀬尾ゆ でも、その後もアジアに行かれていますよね?

絵野沢 はい。教育実習を担当してくださった先生が、国際交流基金の日本語パートナーズに推薦したいと言ってくださって…。私は辛い物も食べられないし、胃腸も強いほうじゃないし、トイレにも行けないからって、最初は断っていたんです。でも、ダメダメってばかり言わずに行ってみるのもいいかなと考えなおして、3年生の9月から4年生になる直前まで、日本語パートナーズの第1期生としてタイに行きました。

瀬尾ま 大学の頃にいろんな地域で教えられたんですね。

絵野沢 ええ。そして、このタイでの経験が、今の私につながる原体験になったと思います。

瀬尾ゆ 原体験?

絵野沢 日本語パートナーズでは、私はタイの東北地方の貧しい農村に派遣されました。ある日、すごく勉強熱心な高校生のスピーチコンテストの練習につきあっていたら、彼女がスクールバスの最終便に乗り遅れてしまったんです。それで、タイ人の日本語の先生と私の2人で彼女を家まで送っていくことになりました。

車で彼女を送っていくと、「先生、ここです」って言って止まったところが、周りが畑で、失礼ですけど掘っ立て小屋みたいな建物の前だったんです。だから、私は家族が農作業をしていて、畑の小屋の前で降ろしてくれって言ってるのかなと思って、「ここで家族が働いているんですね」みたいなことを言ったら、「ここがうちです」って言うんです。そうしたら、そこからおじいちゃま、おばあちゃまが出てきて、タイは先生を尊重する国ですから、当時まだ学生だった私に非常に丁寧にあいさつをしてくださって。その風景とおじいちゃま、おばあちゃまの身なりを含めた様子が、私が想像していたのと違っていて…。帰り道に日本語の先生が、「学校にいると貧しいようには見えないかもしれないけど、あれがあの子のうちで、そういう生活をしているんですよ」ってお話をされたんです。

翌日、学校に行くと、その生徒が「昨日はありがとうございました。先生がご覧になったとおり、私は決して裕福な家の子でもないし、両親が離婚していて、年老いたおじいちゃん、おばあちゃんに世話をしてもらっているんです。だから、日本語を勉強して日系企業に入るか、日本に行って働くかして、お金をたくさん稼いで家族を養わなければならないんです。私が日本語を勉強する理由は家族がまともな生活ができるようになるためです。本当に一生懸命やりますから、どうか見捨てないでください」って、その17歳の女の子が言うんですよ。

人生のテーマを与えてくれた思い出深いタイの生徒たちと卒業式で再会

絵野沢 それまで私は子供の学習者が日本語を学ぶのは、『ドラえもん』とかのアニメがモチベーションになっていると思っていました。でも、そうじゃないということに気づいたんです。私の行った町の中高生は、差し迫った思いを持って日本語を勉強しているんだということに気がついて、なんて自分は浅はかだったんだと、一晩中泣きはらしましたね。そして、私がやっている授業が、彼女たちの将来の何になるのか? 私と勉強して彼女たちは日本の会社で働けるようになるのか? お金持ちになれるのか? みたいなことを考えました。

でも、日本語教師としてクラスに入って日本語を教えるだけでは状況を大きく変えることはできない。むしろ、そういう思いを持った学習者のしっかりとした出口を作らないといけないなと思ったんです。それで、自分は教えるんじゃなくて、社会の仕組みづくりのほうにまわって、日本で働く外国人をサポートしたいなと思うようになりました。そのためには、まずは自分自身が日本の社会人として日本企業や日本社会を知らなければならないと考えて、日本語教師にはならず、まずは就職活動をして企業に勤めることにしました

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

絵野沢 ただ、日本に帰国して就職するまでに、まだ1年ぐらい学生の期間があったので、その間にもう少し日本語教育の経験を積みたいなと思いました。それで、卒業するまでは日本語を教えるアルバイトをしました。

瀬尾ま 日本語学校でですか?

絵野沢 中国のオンライン日本語学校です。求人票には「学生はNG」と書いてありましたが、私には教えた経験もあったし、SKYPEでの面接でもうまくいったようで、採用していただけました。それで、中国の会社だったので、日本国外、主に中国で日本語を学んでいる学習者に1対1、多くても1対4の少人数で日本語を教えていました。

瀬尾ま そこではどれぐらい授業を持たれていたんですか。

絵野沢 学習者は日系企業でお仕事をされている方が多かったので、日本時間の夕方5時頃から夜9時ぐらいまでで、毎日最大で4時間担当していました。多いときだと、1週間に20時間ぐらいやっていました。

瀬尾ゆ 毎日ですね。市販の教材を使われていたんですか。

絵野沢 そこのオリジナルのものを使っていました。ビジネスが立ち上がったばかりだったので、学校オリジナルの教材作成にも携わらせていただいて、私が作ったものに教務主任の方からフィードバックをいただいたりして、本当に勉強になりました。ここでは文法指導がメインだったので、大学の副専攻で最初の1年半で勉強したこと、そして、2年生のときに日本語教育能力検定試験を受けて合格していたので、そのときに勉強したことが役に立ちました。

瀬尾ま 大学2年生で日本語教育能力試験に合格されたんですか。

絵野沢 早く資格を得て、実践をしたかったんですよ。資格があれば、学生のうちから日本語学校で働けるかもしれないなと思いましたし、とにかく取れるものがあるなら取ってしまおうと思って。早く実践をしたかったっていうのは、日本語教育は学生時代で満足できればいいっていう気持ちもあったからかもしれないです。日本語教師になるのは、例えば、結婚したあとだとか、なんなら定年退職後にもできるかなとも思ったんです。ただ、そのときになってから日本語教師を始めると、始めた時点での専門性があまりにも低いから、学生のうちにある程度は形を作っておこうとは思っていました。そうすれば、日本語教育以外の仕事をしたり全然違う分野に進んだりしても、あとで日本語教師をやりたいと思ったときに可能性が広がるかなと考えていました

「必要なのは、日本に来てからのフォロー」―地域のボランティアで気づいた課題

瀬尾ま 就職活動はどうだったんですか。

絵野沢 大学3年の3月にタイから帰国して、大学で始まっていたジョブフェアに行きました。私はトイレとお酒と車が好きなのですが、どうせ働くなら好きなものに携われる仕事がいいと思い、その業界に絞ってエントリーしました。そして、いくつかの会社から内定をいただきましたが、トイレなどの住宅設備機器メーカーに就職することにしました。決め手となったのは、日本らしい日本企業を知ることができそうな社風であったことと、現場で働く外国人のことが少し理解できるのではないかと思ったことです。それに、当時、現場で働く外国人のことがニュースで扱われていて、ホワイトカラーではなく、いわゆるブルーカラーの働き手としての外国人へのサポートが今後は重要になると思ったんです。住宅設備機器メーカーの営業は実際に建設現場へ赴いたり、図面を見ながら職人さんとお話しすることも多いので、将来私が日本で働く外国人をサポートするときに役立つんじゃないかなと思いました。

瀬尾ま 就職してからも日本語教育には携わられていたんですか。

絵野沢 はい、タイでの経験から、日本語を学んで日本で働きたい人の支援をしたいっていうのが人生のテーマになっていたので、就職後も地域のボランティア教室で日本語を教えていました。

瀬尾ま 新入社員だと、働きながらボランティアをするのは時間的に大変じゃなかったですか。

絵野沢 はい、けっこう厳しかったですけど、私の行っていたボランティア教室はティームティーチングだったので、毎週教えることはなかったんですよ。だから、ほかの先生に融通してもらいながらやっていました。

瀬尾ゆ ボランティア教室で教えるのはどうでしたか。

絵野沢 技能実習生が非常に多い地域で、ボランティア教室にもたくさん来ていました。そこで気づいたのは、彼らにとって必要な日本語は、『みんなの日本語』のミラーさんが話す日本語よりも現場の日本語、例えば、「吊り架台」であり、「墨出し」であり、「給水・排水」なんだということでした。私は本職では、現場で図面を見ながら大工さんや水道工事屋さんと日常的にやりとりしていました。配管工事をやっているボランティア教室の技能実習生も、私と同じような図面を見てますし、教室でも専門用語に関する質問や相談も受けたりしていました。

私はタイにいたとき、学習者が日系企業で働けるようになるために日本語教育が必要だと思っていたんですが、地域の日本語教育に携わるようになってからは、日本国内で必要なのは、日本に来てからのフォローなんだっていうことに気づきました。

瀬尾ゆ 日本に来てからのフォローが必要な人たちが、地域の日本語教室に来ていたんですね

絵野沢 そうなんです。そして、その地域日本語教室では、ボランティアで教える先生が教室運営費を支払って活動していました。平日は日本語学校で本業として教えている先生も謝礼をもらうどころか先生がお金を払って教えるんです。そこに社会のねじれがあるなと思って。本来であれば、雇用主が責任を持ってお金を突っ込んで人材を育てるものじゃないかなと。その気づきも私のなかでの日本語教育を変えていきたいところと結びつきました。

タイにいたときは、日本語学習者・日系企業・日本語教師の三位がいて、日系企業で働きたいと言っている学習者の受け皿を作ることによって、この三位がハッピーになるとイメージしていました。

でも、日本に帰って、自分も会社員として働いて、だんだん社会のことがわかってくると、それぞれが持つ役割についてしっかりと考えられるようになってきたんですよ。企業には体制面・金銭面を支援してもらって、学習者に学習を続けてもらう。日本語教師は日本語を教えるだけではなく、社会や日本の企業のことを知らないといけないなっていう風に。

瀬尾ま ぼんやりとしていたものが、明確になってきたわけですね。

絵野沢 ボランティア教室で、こういった課題に気づきはじめた頃に入管法が改正されることになって、世間でも日本国内の外国人材が話題になっていたんです。なので、やりたいことをやるなら、もしかしたら今なのかなと思って、今の職場の営業職に応募しました。前職の顧客は技能実習生を受け入れている企業も多い業界でしたので、「外国人を受け入れる顧客のこともある程度わかるし、営業をしながら日本語教育もできますよ」というアピールしたところ、当社は技能実習生の入国後講習も運営しているので、教育部門での採用になりました。

「興味があるのは日本語教育の周辺」―会社員として企業と外国人材をサポートする

瀬尾ま 今の会社では、どんな仕事をされているんですか。

絵野沢 当社は高度人材や技能実習生を受け入れる企業の採用や育成を支援している会社です。私は教育部門の社員として、高度人材や技能実習生に対して、日本への入国前から入国後、そして企業で働くようになってから母国に帰国するまでの一気通貫の教育を企画し、実際に運営するところまでを担っています。もちろん日本語も指導しますが、日本で活躍するために必要な知識が備わっている人材を育成することも目標になります。

瀬尾ま 育成では、日本語よりもむしろ企業文化とかそういったことを教えるんですか。

絵野沢 そういったことも含まれますが、技能実習生の場合は、それこそ5Sを教えるとか。

瀬尾ま 5S?

絵野沢 5S。整理、整頓、清掃、清潔、躾っていう、技能実習生が日本の企業で必ず求められる考え方であったり、報告、連絡、相談のホウレンソウであったりを教えます。あとは現場仕事の方が多いですから、安全を管理するための危険予知とか、言い訳をしない、遅刻をしないとか、そういう社会人の基礎中の基礎みたいなところも教えていますね。

瀬尾ま それは、外国人と日本人では教える内容は変わってくるんですか。

絵野沢 私の実感としても企業さんからの反応としても、「この資料、実習生だけじゃなくて、うちの日本人の新入社員にも使いたい」ってよく言われます。なので、外国人だからというよりは、日本の企業で働く人ならみんな知ってほしい内容かなと思います。私自身が一会社員であり、特に新卒で就職した企業では社会人基礎力を養うような育成を丁寧にしていただいたからこそ、そういったことも語れるようになったと思いますね。

瀬尾ゆ やっぱり企業としては、そういう研修が必要と考えていらっしゃる所は多いんですか。

絵野沢 そうですね。必要だけれども、中小企業だと研修は手薄になってしまいがちですよね。それをする講師もいないし、リソースもないっていう場合に、そこに支援に入るっていうのも当社の役割です。そのなかで特に、教育というところで私が参画しています。

現在は株式会社ワールディングで、ASEAN諸国の日本語学習者に対し広く指導にあたっている

瀬尾ま 大学のときに学んだ日本語教育や、教壇に立って教えてらっしゃった頃のことは今の仕事に生かされていますか。

絵野沢 今の職場では、私は自分のことを日本語教師とはあまり思っていなくて、外国人の教育に関することをしているサラリーマンという認識でいます。でも、大学の頃のいろいろな経験がなかったら、今の仕事はできなかったと思います。当社はこれまでも教育をとても大切にしてきた会社なのですが、大学時代に学んだ日本語教育の観点から新たな取り組みを提案しています。

瀬尾ゆ 具体的にはどういうことを提案されているのでしょうか。

絵野沢 はい。たとえば、「会話を教えてください」って言うだけじゃ、先生も困ってしまうので、まず会話がうまくなるということはどういうことかを、営業の社員も含めてみんなで定義づけするところから始めて、当社が求める外国人材のCan-doは何かを洗い出しました。そして、それをもとにカリキュラムを作って、実習生の指導をしています。2020年4月にはベトナム現地で実習生向けのクラスを立ち上げる計画もあります。

瀬尾ま 教壇にはもう立たれていないんですか。

絵野沢 自分が作ったカリキュラムや教材が合っているかを確かめるために、ときどき教壇に立っています。自分たちだけでやっていると、どうしても独りよがりになっていくので、外部の公的団体の先生の前で模擬授業をして、助言をいただいたりもしています。やっぱり実際に教えて、はじめてわかることもたくさんありますからね。

瀬尾ゆ 研修を担当する先生は、どんな方を雇われているんですか。

絵野沢 日本国内でも海外でも、私たちの指導内容や目標、理念に共感、共鳴してくださる方を採用していますね。日本語能力試験対策を指導したいとか、会話よりも文法を教えることが好きという先生だと、私たちのプログラムで教えていてもあまりおもしろくないと思いますので、私たちの思いに共鳴してくされる方を採用しています。

瀬尾ま そういった方はどうやって見つけるんですか。

絵野沢 私自身ができるだけ勉強会に参加するようにしています。自分が勉強会で勉強するとともに、他の参加者にいい人がいないかを探しますね。やっぱり、自分が学びたいと思うところで学んでいる人たちは、私と同じ思いがあるんじゃないかなと思うんですよね。

瀬尾ゆ 地域の日本語教室で感じられていた課題は、今のお仕事を通して解決に向かっているように感じられますか。

絵野沢 私個人としても、会社としてもまだまだ規模は大きくありませんので、国レベルに影響を与えるところまではいっていないと思います。ただ、当社ではICT教材を活用して、日本の企業に配属されてから、技能実習生が会社や寮で学習できるような環境を整備したり、月刊誌を刊行して、日本の生活で気をつけることや日本語の勉強方法などを、日本語とベトナム語など実習生の母語で紹介したりしています。そういう風に、まずは当社が関わっている技能実習生を社内からフォローして、ゆくゆくはそれが日本全体のスタンダードになっていくといいよねっていうことは、常に社内でも話しています

ベトナム・ハノイにて学習者に女性の日のお祝いをしてもらった。着ているのはモダンアオザイ

瀬尾ま ベトナム語ということは、ベトナムの方を主に対象にされているんですか。

絵野沢 ベトナムの方がほぼ9割なんですが、フィリピンやインドネシアの方もいます。また、弊社の社員としても、日本人の次にベトナム人が多いんですが、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、中国の方もいますよ。

瀬尾ゆ 来月(2020年2月)からベトナムに駐在されるそうですが、どんなお仕事をされる予定なんですか。

絵野沢 技能実習生は日本に来る前に6か月ほどベトナムで勉強をするんですが、そのクラスを当社で運営することになり、その立ち上げをするのが私のメインミッションです。そして、他にもお取引のあるパートナーがベトナムにはたくさんありますので、そちらの送り出し機関の教育内容に対する助言をしたり、プログラムの改善をしたり、あとは2018年からエンジニア向けのクラスを開講していますので、そこのブラッシュアップをします。

瀬尾ま ハノイにはすでに事務所はあったんですか。

絵野沢 はい、現地法人は1年ほど前に設立しました。まだ立ち上げたばかりで徐々にメンバーを増やしている段階ですので、駐在者として企業運営をフォローすることも私の役割だと思っています。

瀬尾ま 最初は教えることに興味を持たれていて、今は教壇を離れていますが、それについてどう思われますか。

絵野沢 やっぱり教えないと感覚が鈍るので、バランスを取りたいなとは思います。けど、私の興味は、日本語教育の周辺にあるんですよね。例えば、日本語を学んだ人の働く先とか、外国人が日本で働くための法律や制度、フォロー体制がどうなっているかとか、日本の企業が外国人材に対してどんな研修を提供しているとか、日系企業の経営者クラスと現場レベルの外国人材に対する思いの違いとか、そういうところなんですよ。だから、今の仕事はその日本語教育の周辺の部分をやっているんですね。ただ、周辺を語るにはやっぱり日本語を教えるというコアの部分をちゃんとしないといけないので、勉強会に参加したり、要所要所のタイミングで教壇に立って実践したりということは今後もしていきたいと思っています

「ユニバーサルに誰とでも接することができる力を身につけている」―絵野沢さんからのメッセージ

瀬尾ま 最後に、今から日本語教師になりたい人やキャリアの浅い人たちに向けてメッセージをお願いいたします。

絵野沢 私は日本語教育に関する知識や日本語を教える力っていうのは、ある種の社会人基礎力だと思っています。前職のメーカーに勤めていたときに思ったことなんですが、学習者の日本語レベルに合わせて語彙を変えるとか、資料を作るとかっていう外国の方との接し方は、会社に入ってからも役に立つんです。例えば、年齢が高くて耳が遠い年配の職人さんには、「ここに、トイレがあります。給水は床からじゃありません、壁からです」とか、ジェスチャーも交えながら図面の確認をしていました。これも、相手に合わせて伝え方を工夫するということですよね。

瀬尾ま そうですね。

絵野沢 それに、同じ日本で生活してきた人でも考え方は全然違いますよね。違う文化や違う考え方を持った人を受容できる気持ちは、日本語教育で培ったことだと思います。日本語教育を勉強したら、日本語教師になるための専門性しか身につかないわけではないんですよ。グローバルだけでなくユニバーサルに、誰とでも接することができる力を身につけられているんだと思うんです。だから、いろんな考えを持っている誰とでも働けるっていうユニバーサルな能力を身につけているんだと、日本語教育を学んだ人は考えてほしいです。だからこそ、それを身につけたうえで、日本語を教えるか、会社員をするか、団体職員になるか、さまざまな選択肢があると思いますし、会社員でも何をするのかっていうのはいろいろあると思うんですが、本当に自分が情熱を注げるものに出会ってほしいなと思います

インタビューを終えて

瀬尾ま「学生のうちにある程度は形を作っておこうとは思っていました」―大学生時代に積極的に、そして戦略的に動いていたからこそ、今の社会を変えていきたいという思いを遂行できる術を身につけているのではないかと思いました。第8回の小西達也さんもそうでしたが、戦略的に動くというのは日本語教師のキャリアを進めていくうえで、重要なのかもしれません。

瀬尾ゆ大学時代からさまざまな機会をとらえ、日本語を教える経験を積まれてきた絵野沢さん。日本語教育を通してさまざまなことを経験し、その経験について考えることが、どのような社会を作りたいのか、自分はそこにどのように関わっていくのかという明確なイメージにつながっていったのではないかと思いました。


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