日本語教師の履歴書 第10回 増田麻美子さん

最終更新日


vol.10 「声を集める、仕組みを整える、専門性を伝える」増田麻美子さん

これから日本語教師を目指す人に、日本語教師の働き方にはどのようなものがあるのかを知ってもらうための連載。日本語教師や、日本語教育に関係する職に就いている人、日本語教育の勉強はしたけど別分野の仕事に就いた人、日本語教師から転職した人、転職して日本語教師になった人など、さまざまな形で日本語教育に携わる方々にお話をうかがい、日本語教師のキャリアについてみなさんと考えていきます。
今回は文化庁国語課で日本語教育専門職に就かれている増田麻美子さんです。


《今回の「日本語教師」》増田麻美子(ますだ・まみこ)さん 大学在学中に日本語教師養成研修を受講し修了、日本語教育能力検定試験に合格。大学卒業と同時に韓国で日本語教師に。帰国後、日本語学校で非常勤→専任→主任として就学生や生活者、ビジネスパーソン、難民等に対する日本語教育や教材開発、日本語教師養成に携わる。大学院進学後、NHK放送技術研究所「やさしい日本語」によるニュース提供プロジェクトスタッフとして「News web EASY」の書き換えを担当。認定NPO法人難民支援協会の日本語支援サポートスタッフとして難民や東日本大震災による被災外国籍女性のための就労支援サポートに携わる。2012年から文化庁日本語教育専門職として勤務。


《聞き手》瀬尾匡輝(せお・まさき/茨城大学准教授)、瀬尾悠希子(せお・ゆきこ/東京大学講師) 日本語教育を学ぶ大学生たちの「『仕事』としての日本語教育をイメージすることが難しい」という声を受け、いろいろな「日本語教師」に話を聞きに行くことに。


2019年9月11日、文化庁の会議室で約2時間にわたってインタビューさせていただきました。

「日本語を学べる場がなくて腹が立った」―日本語教師になる

瀬尾ま 日本語教育にはどのようにして入られたんでしょうか。

増田 ちょっと個人的な話になってしまうんですけど、高校生の時に、いわゆる日系2世の従妹3人がブラジルから来日し、同居することになったんです。青天の霹靂でした。彼女たちはポルトガル語しか話せない状態で…。一緒に暮らすのもなかなか大変でした。彼女たちが日本語を勉強できる場所を私も一緒に探したのですが、当時、私が住んでいた埼玉には外国人と交流する場所はあっても、日本語をゼロから教えてくれる学校もなければ国際交流協会の教室もありませんでした。東京に出ていけば日本語学校はあったんですが、授業料が月に10万円ぐらいかかるということでした。そんなお金はとても彼女たちには出せないですし、私たち家族も用意してあげることはできなくて。

瀬尾ゆ 東京まで行って、さらに授業料10万円を3人分は高いですよね。

増田 その時に、日本語を必要とし学ぼうとしている人がいるにもかかわらず、きちんと日本語を学べる学校がない国っておかしいんじゃないか、日本ルーツの人なのにどうして高いお金を払わなければ日本語が学べないのかっていうことに腹が立ったんですよね。それで、私は日本語教育の仕事に就きたい、自分で日本語学校を作りたいと考えたんです。

瀬尾ま その時に日本語教育に興味を持たれたんですね。

増田 でも、両親には大学に進むことを反対されました。両親は大学に行っていなかったので、女の子は短大で十分で、普通の企業に勤めて、お嫁に行くというような価値観を持っていました。でも、プロの日本語教師について調べてみると、日本語教師になるには学士号以上がないと難しいということがわかって、「大学だけは出させてほしい」と母と妹も一緒になって父に土下座をしてお願いをしました。父には、大学でドイツ語をマスターして、将来はルフトハンザ航空で働きたいとか何とか言って・・・。嘘だったんですけどね(笑)。

瀬尾ま瀬尾ゆ ははは(笑)。

増田 大学の副専攻課程で日本語教育の勉強を始めたんですが、日本語を教えるためのスキルをもっと身につけたい、日本語学校を近くで見てみたいと思って、大学2年の時に親に内緒で420時間の日本語教師養成講座にも通い始めたんです。その時にローンを組んだので、朝はマクドナルド、夜は吉野家っていうようにアルバイトを掛け持ちしながら通いました。

瀬尾ゆ 大学に行って、アルバイトもそんなにしながらだと、大変だったでしょうね。

増田 そうなんですよ。でも、副専攻修了、420時間受講、日本語教育能力試験合格という有資格者の条件を全部満たせば、どこかに就職できるだろうと思って、がんばっていました。

瀬尾ま 本気で日本語教育に携わろうとされていたんですね。

増田 はい。でも、就職活動をする時に大学に相談をしたら、「うちの大学で日本語教師として就職した人はいない。大学は就活支援ができないから、自分でがんばって探すしかない」と言われてしまいました。それで日本語教師はこんなに専門的な勉強をするのに社会的認知度の低い、選ばれない仕事なのか?と、そこでまた怒りが込み上げてきたんです。社会的に必要とされる職業なのにどうして! って。
結局、東京都内の日本語学校20校に履歴書を送ったんですが、面接してくれたのは3校だけでした。副専攻修了、420時間研修終了、検定合格という3つの教員要件を満たしてはいたものの、模擬授業を見てもらうことなく、結局断られてしまったんです。

瀬尾ゆ 教師経験や年齢が求められていたんですか。

増田 実は、後日不採用の20校に「勉強のために」とお願いして不採用の理由を電話でうかがいました。教師経験がなかったこともありますが、社会経験がないことが採用に至らなかった大きな理由の一つだったと思います。自分も後に日本語学校で採用担当の立場に立った時に、新卒の人は確かに留学生などの学習者と近い世代であることが武器になるけれども、企業経験や子育て経験のある方に比べるとどうしても授業の幅というか引き出しが狭かったり、クラスマネジメントや学生対応なども含めた競争では不利になることもあると感じましたね。現場では、老若男女、さまざまなバックグラウンドを持った日本語教師が求められていますから。

瀬尾ま 教師経験だけではなくて、それ以外の経験も重視されるんですね。

増田 そこで、韓国に行く選択をしました。日本語教師養成講座を受講した学校が、韓国・ソウルに学校を持っていたんです。その学校に赴任して、そこから韓国企業に派遣されて、将来日本に行く予定の社員に朝7時から夕方4時まで日本語を教えました。

瀬尾ゆ 1日中授業があるんですね。

増田 はい。仕事として日本語を学ぶ方たちがいるということに驚きました。日本や日本語を好きかどうかはまったく関係がないわけです。学習動機、という以前に命令によって勉強せざるを得ない方たちに教えるというのは想定外で、勉強になりました。それに、私自身はビジネス経験がなかったので、ビジネス日本語の教科書以外に、日本人向けの就職対策本やビジネスマナーの雑誌を取り寄せて読んだり、日本にいる先輩に電話で聞いたりしながら必死で教えていました。もしかしたらビジネス経験もあって、韓国の文化にも精通している日本語教師のほうが、もっといい効果が出せたのかもしれないと思い返すことがあります。

瀬尾ま 何年ぐらい韓国にいらっしゃったんですか。

増田 当初2年のつもりでしたが、もうすぐ2年になろうという12月に韓国の通貨危機が起こって、「今日かぎりで日本語教師のみなさんは全員解雇、来週帰国してください」って突然言われて、帰国することになってしまったんです。海外で働くというのは、日本語教師にとって魅力的だとは思うんですけれども、こういう時はどうにもならない、弱い立場でもあるということを、その時に実感しました。

「また違う世界が見えるかな」―日本語学校での仕事の広がりと大学院進学

増田 日本に帰ってきて、また就職活動をしたんですが、前回と同じ20校の日本語学校に履歴書を送ってみたんです。海外経験2年弱でしたが、今度は12校から面接に呼ばれて、自分が働きたい学校を選ぶことができました。

瀬尾ゆ どんな学校を選ばれたんですか。

増田 筑波の研究所で研究員に日本語を教える機関と、大手メーカーのエンジニアに対するマンツーマン出張派遣を行う機関、日本語教師養成研修を受講した日本語学校での就学コースというように、あえて違うタイプの3校で非常勤講師の掛け持ちをして経験を積むことにしました。

瀬尾ま 一つに絞ったほうが楽かなと思うんですけれども、どうしてばらばらのところで働くことにしたんですか。

増田 私はその時、将来は自分の日本語学校を作りたいと思っていたんです。それで、働きながら、どうやって学校を運営しているのか、どういう人が関わっているのかを学びたいという気持ちがありました。あと、自分がどこにハマるのかも当時はよくわからなかったので、いろんな学校を見たいなとも思っていました。
生活は大変で、吉野屋の深夜スタッフとか、土日は近所の料亭の仲居とか、いろいろやりましたが、どれも授業のネタになる潜入取材的な楽しみもあり、私には貴重な社会経験になりました。

瀬尾ま瀬尾ゆ へー。

増田 7、8年非常勤として教えた頃、お世話になっていた日本語学校で専任の募集が出て、「やってみないか」っていうお声がけをいただいて、嬉しかったですね。専任になれば、また違う世界が見えてくるかなと思って、挑戦しました。3年後主任に挑戦して、それから日本語教師養成研修の実技・実習の担当へと仕事が広がっていきました。本当にいい経験をさせてもらいました。

瀬尾ま ご自身が養成講座を受けられたところに、専任として入られたんですか。

増田 はい、他の学校も見たけれども、やっぱりここがおもしろそうだなって思ったんです。その学校は、留学生コースだけではなくて、ビジネスコースや生活者向けのコースなど、時代に応じたコースをいろいろと作っていく学校でした。企業営業としてプレゼンやデモ授業をして年間コースを受注したり、海外の大学から依頼を受けて、大学生の日本体験を含めた短期留学プログラムをアレンジしたり、プライベートレッスンではレベルチェックやニーズ調査をしてプログラムを立て教師を派遣したり、幾通りものプログラムが同時に動いていて、日本語を教えることだけではなく、営業や教材開発、採用や教師研修など、幅広く経験できたのは本当によかったですね。

瀬尾ゆ ただ教えるだけじゃなく、コースを立ち上げて売り込むっていうことですね?

増田 そうです。でも、痛い経験もありました。今は「生活者としての外国人」に対する日本語教育が浸透してきていますけれども、当時は日本語学校にも地域に暮らす外国人が徐々に増えてきつつありました。留学生と同じ進度のコースでは大変だったこともあり、生活者向けのコースを作ったんです。ただ、カリキュラムの中身はというと、留学生コースを少し緩やかにしたぐらいの文型積み上げ型のコースでした。開講したら、日本人を配偶者に持つ外国人女性を中心に応募があって、「ニーズに合ったコースが作れて良かった」と思っていたんです。ところが、数ヶ月経つと、コンビニで3か月間一生懸命アルバイトして稼いだというボロボロの1万円札を握りしめて「私これで日本語を勉強したい」って申し込んでくれた人たちが、1人2人と理由を言わずに辞めていってしまう。退学したフィリピン人のシングルマザーを追いかけて理由をたずねたら、「私、バカだから、日本語難しすぎるから」って言われた時、本当にショックで…。そんな風に思わせてしまうコースを作った自分を呪いました。それは今でも夢に見るほど忘れられない痛い経験でした。専任や主任になってからも、コースデザインや新しい学習者層に対する勉強が必要なのだと、その時痛感しました。

瀬尾ま 当時、勉強はどのようにされていたんですか。

増田 私が働いていた学校は、専任教師が大学院に行くことを応援してくれる学校でした。先輩が何人も大学院で日本語教育を学び直していて、私も学費が貯まったら行きたいと思っていたんです。

瀬尾ゆ 専任の仕事を続けながらですか。

増田 ええ。自分のために勉強に行って、そこで得た成果を学校に還元してくれればいいと、保険などにも入った状態で時短勤務を認めてくれていたんです。

瀬尾ま いい学校ですね。

増田 今思えば、本当に恵まれていました。多くの日本語教師にそういう学びの機会があるといいなって思います。教えているうちに自分が消耗して枯渇してきて、何か新しいものを自分に入れないと、人にこれ以上教えることなんてできないって感じるようになるんですよ。

瀬尾ま 大学院ではどんなことを研究されていたんですか。

増田 「やさしい日本語」です。生活者を含めた日本語学習者がネイティブレベルの日本語を目標に「漢字2000字!」などと必死に努力しなければならないという社会に違和感を持っていました。それで、日本社会側の歩み寄りを模索する「やさしい日本語」に興味を持って研究室を探しました。
日本語教師は職業柄、相手の日本語レベルに合わせて自分の発話レベルをコントロールしていますよね。「やさしい日本語」には日本語教師の知見が役立つ、それが日本語教師の新たな社会的貢献につながるのではないかと思ったんです。それで、まず、日本語教師は一般の日本人よりも言語統制能力を生かして文書をやさしく書き換えできるということを証明するぞと意気込んで修士論文を書きました。でも、本当に大変でした。

「いかにして日本語教師の専門性を伝えていくか」―文化庁の日本語教育専門職に

増田 「やさしい日本語」の研究は夢中になってやらせていただいていたんですけど、その後ちょっとした転機がありました。

瀬尾ま 大学院を修了した頃ですか?

増田 そうです。ちょうど修士論文を書き終わった頃に、父が亡くなったんです。父は霞が関で働いていたんですけど、父が亡くなった翌朝に、ある方に「文化庁の日本語教育専門職の公募が出ているよ」と教えていただいて…。その時は何も考えられない状態だったんですが、葬儀が終わり父を見送った後に、この縁について考えました。父が働いた場所である霞が関にある文化庁で働いたら、今までやりたいと思っていたことができるんじゃないか、父が逝った翌日の連絡は父からの遺言のようにも思えて、応募を決心しました。

瀬尾ま やりたかったことというのは、どういうことですか。

増田 日本語教師を目指すことになった最初の思いです。日本語教師を専門的な「職業」として成立させたいということ。私の周りにいる一般の人が持つ日本語教師のイメージは、決して「プロ」ではなかったんです。「日本人だから日本語を教えられるんじゃない?」、「それで仕事になるの?」というように思っている方が私の両親も含めて多かったと思います。

瀬尾ゆ 誰でもできるでしょ? みたいな。

増田 そうですね。企業に営業に回っても、「日本語を教えてもらうだけで、こんなにお金を払わなきゃいけないんですか?」って。いかにして日本語教師の専門性を社会に伝えていくか。「やさしい日本語」もその一つでした。もう一つの理由は、数多くの優秀な仲間が、この仕事に魅力を感じつつも辞めていってしまったことです。「夢だった日本語教師になったけど、食べていけないので前職に戻ります」とか、「家族を養うことができないから辞めます」っていう人を何人も見てきました。その時は悲しかったけれども、どうして日本語教育はこういう業界なんだろうって怒りのほうが強かったですね。

瀬尾ま 怒りが原動力になったんですね。

増田 中を見たからわかりますが、日本語学校は決して搾取しているわけではないんです。学習者からの学費もそんなに高く徴収しているわけではないですし、優良校であっても涙ぐましい経営努力をしてがんばっているんですよ。少なくとも、私が見てきた学校はそうでした。でも、仕組み的に全員が専任になることは難しいし、日本語教育という側面で日本の屋台骨を支えているプロ集団なのに報われないって何だ! と思いました。

瀬尾ゆ 仕組みとしてお金が入ってこない構造になっているんですかね。

増田 そうですね。日本語学校に対する怒りというよりも、国の仕組みに対する怒りを感じていたので、文化庁の公募に挑戦して、やるだけやってみようと受けてみました。

瀬尾ま 文化庁に採用されてからは、どんな仕事をされているんですか。

増田 私が入った当時の文化庁は、「生活者としての外国人」に対する日本語教育を全国に普及しようとしていました。私はそれまで日本語学校中心の現場にいたので、生活者や地域日本語教育という課題に対して頭のスイッチを切り替えるのに苦労しました。先輩に倣って、現場に足を運んで当事者に話を聞くということを通じて、少しずつ理解していこうとしていたと思います。

 

増田 今は難民に対する日本語教育のほか、主には文化審議会国語分科会日本語教育小委員会を担当させていただいています。専門職は異動がないポストなので、毎年入れ替わる公務員の方々に日本語教育の現状を理解してもらい、有識者の提言を基に国の施策の方向や方針を決めていったり、事業を立案するサポートをしています。

瀬尾ゆ そこでは、具体的にどういうことをされているんですか。

増田 ここ3年ぐらいで日本語教育を取り巻く状況が劇的に変化しています。外国人材の受入れという政府の方針を受けて国の方針にも日本語教育の推進に関する項目が盛り込まれて、2019年6月には日本語教育推進法が成立しましたよね。外国人受入れの環境整備の主軸として、日本語教師の資格の整備、日本語教育の全国展開、日本語教育の質の向上という話が具体化に向けて動いています。

瀬尾ゆ まさに日本語学校にいらっしゃった時に考えられていたことですよね。

増田 そうですね。私はここで何ができるのかと悩んだ時期もありましたが、今、日本語学校という現場にいたことが役に立っていると感じています。

瀬尾ま 日本語学校の経験が今の職場にどのように生かされていますか。

増田 私がいた学校は研修を受ける機会を与えてくれて、私ももがきながら、やみくもに研修を受けて、質を高めていくことができました。でも、そうではない日本語学校もたくさんあり、大変な思いをしている日本語教師もいるだろうと想像できます。だから、国として日本語教師のキャリアがある程度きちんと示せるような制度、日本語教師になった後も成長していける仕組みを作る必要があると思ったんです。それが、この「日本語教育人材の養成・研修の在り方について(報告)」です。

増田 これまでの審議会の議論の積み重ねがここにきて少しずつ形になろうとしているので、そういう場にいる緊張感と怖さもあるんですが、日本語学校をはじめとする現場の日本語教師にとって良い方向に進んでいるという手応えを感じることも多いです。これまで出会った日本語教師と学習者の顔を思い浮かべて、今やろうとしていることが現場にとってどうなのか、立ち戻って考えるようにしています。

瀬尾ま その冊子、すごくまとまっていて、すごいなと思っていました。

増田 ありがとうございます。審議会担当として初めて取りまとめに関わった報告書なんです。今までの報告書は、白色の表紙しかなかったんですよ。でも、報告書の名前って長くて覚えにくいから、「緑の報告書」って言ってもらえるように、色を付けたんです。

瀬尾ゆ 確かに「緑の報告書」って聞きますね。

増田 この報告書を作るのに、2年がかりで委員の方々以外にも相当な数の現場の先生方にご協力をいただきました。ここで日本語教育人材の養成・初任・中堅という3つの段階それぞれで求められる資質・能力が整理されたんです。

瀬尾ま しかも、その研修をちゃんとやっていきましょうと示されたのがいいですよね。

増田 そうですね。それから、「専門家としての日本語教師」という言葉が初めて示されました。このことが日本語教師の資格の議論へとつながっていきます。きちんとした資格にしていくためには、まず養成の中身をしっかりしなければいけないよねということで、この報告書がまとめられたわけです。

瀬尾ゆ なるほど。

増田 そして、私がお世話になった日本語学校は留学生教育だけではなく、多様な対象に対する日本語教育を提供していました。対象はますます拡がっているのに、日本語教師になった後は自己研鑽に任せるというのではなくて、国内と海外、地域の生活者や就労者、難民の方のためというように、分野別に日本語教師の専門性を高める道があるということを示していただいたことも、画期的な点だと思います。15名の委員の先生方もみなさん非常に熱い思いで関わっていただき、熱の結晶としてこの報告書ができたと思います。そして、これができたことによって、社会を現場を変えていく施策を国が打ち出せるようになります。
でも、これだけ日本語教育に関する審議会や国の施策が動いていても、この報告書をまったく手に取ったこともない、知らない日本語教師の先生方もいらっしゃることが残念でもどかしくてなりません。日本語教育以外の自治体や企業の担当の方にも見ていただきたいと思って、今年は「見せましょう! 日本語教師の底力―広がる日本語教育と人材の活躍の場」と題した日本語教育大会を東京と京都で予定していました。1人でも多くの日本語教師に集まっていただき、日本語教育の専門家として「声」をあげてほしいと考えた文化庁国語課渾身の企画だったんです。残念ながら台風で中止になってしまいましたが、来年にも期待いただきたいですね。

瀬尾ま はい、楽しみにしています!

「現場の日本語教師の声で変えられることが、今動いている」―日本語教師が今できること

増田 私は日本語教師のことをもっと知っていただく努力をしていきたいと思っています。毎年の文化庁からのメッセージをみなさんに受け止めてもらえると嬉しいですし、ご意見やご批判もいただければと思います。実際、1日に何件もご意見をいただくんですよ。

瀬尾ゆ 直接来るんですか。

増田 直接来ます。「がんばれ」っていう応援のメールも来ますし、「日本語教師をちゃんとした職業だというように認めてもらいたい」という切々としたご意見もいただきます。ちゃんとご連絡先を書いていただけると、質問にはお答えさせていただいたりもしています。あと、いろんな所に出向いて行って、直接意見交換させていただいたりしたいなとも思っています。今は日本語教育専門職が3人しかいないので、時期によっては行けないこともありますが、なるべく出ていこうとしています。

瀬尾ゆ 外に出て行って話をしたり、人と会って調整をしたり、フットワークの軽さも必要なんですね。

増田 そうですね。自治体の方や日本語教師養成を検討されている大学の方など、いろんなお問い合わせをいただくので、なかなか1件に長く時間をかけることは難しいですが、できる限りの対応はしたいと思っています。やっぱり人と関わって仕事を進めていきたいですし、私たちは現場の役に立つことをしたいので、これで大丈夫かどうかっていうフィードバックは本当にほしいです。2年続けてパブリックコメントで意見を寄せていただいたんですが、日本語教師の方々の熱い思いをもう泣きながら読みました。

同僚の北村さんと。取材当時、専門職はさらに少ない2人だった

増田 一方で、思ったよりも意見が少なくて、関心を持ってもらえていないことが残念だなとも思いました。

瀬尾ま もっとあったほうがいい?

増田 ええ。日本語教育小委員会は15名の委員で構成されていて、大学の先生も日本語学校の先生もいて、日本語教育に関わる各専門分野や業界を代表している方たちが国に提言する報告書をまとめて、その提言に基づいて国がいろいろな施策や事業を立てていくんです。国を動かしているのは、業界のみなさんです。委員となる有識者が世論の後押しを受けて堂々と議論を展開するためにも、「日本語教師たちよ、もっと声を上げてくれ」って思っています。現場の日本語教師のみなさんの声で変えられることが、今動いているんです。

瀬尾ゆ 声を上げたら拾い上げてもらえるということですか?

増田 はい。私も日本語教師だった時は、国の施策なんて勝手に誰かが決めて日本語教育が進んでいくんだろうという気持ちで、文化庁なんか遠くに感じていました。でも、今それじゃダメなんです。日本語教育人の一人として、日本語教育小委員会の委員に対する応援や、文化庁をはじめとする役所に対する厳しいご意見でもいいので、意見や要望を出すこと、熱や怒りを伝えるということをしてほしいんです。今、何がどうなっているのかを正しく知って、自分事として考えてほしいんです。

瀬尾ゆ 声を上げるのは、どのようなタイミングがいいんでしょうか。

増田 日本語教育小委員会の報告案がまとまったら、パブリックコメントという形で文化庁のホームページで意見募集をします。そこでご意見をいただきたいと思います。そうすると、集まった意見を整理して、ある程度まとまった形で公表することができるので、反映されやすいと思います。ほかにも、随時文部科学省や文化庁に対して、国民の声という形でメールでご質問やご意見をいただければ、それに一つひとつお返事をしています。いただいたご意見をすべて反映させるというのは難しいんですけれども、ご意見は全てしっかり拝見させていただいています。

瀬尾ゆ じゃ、黙っているのではなくて、思い立った時に言ったほうがいいということですか。

増田 はい、何か気になることがあったら、ぜひ意見を出してください。名前などの個人情報が収集されるのではないかと心配される方もいるのですが、いただいた連絡先はお返事のためだけに使用しますので、そこは心配せずに声をあげていただきたいと思います。

瀬尾ま パブリックコメントは、これまでもよく募集されていたんですか。

増田 日本語教育で、こういう意見募集を行ったのは本当にここ数年のことですね。

瀬尾ま 本当におもしろいタイミングで、文化庁で働かれているんですね。

増田 そうかもしれません。文化庁だけじゃなくて、たぶん国としても日本語教育業界全体としても、今過去最大級の大波を受けているんじゃないかと思います。

瀬尾ま そうですね。今、スポットライトを浴びてますもんね。

増田 専門職3名ですから、正直大変です。でも、メディアにも注目されている時期だからこそ、日本語教育がなぜ重要なのか、日本語教師の専門性がなぜ必要なのか、日本語教育機関がどう社会に貢献できるか、この職業の魅力や醍醐味も含めて発信していかないと、その重要性や必要性を含めて業界外の人たちへの理解を広めていくことができないと思っています。単に、外国人材がやってきて初期日本語教育が必要になるから何とかしなければということにとどまらず、これからの日本社会を創ることにつながるはずです。今、全国に日本語教育を行き渡らせるための事業に予算がついているんですが、自治体の人たちは「どこにプロの日本語教師がいるのか」、「地域に暮らす外国人のための日本語教育をどうやって実施すればいいのか」、「何をどこまで教えればいいのか」と困っておられるところが多いんです。企業においても同じ状況です。日本語教師や日本語教育機関側からも発信していただきたいと思います。そうすると、もっと日本語教育が広がっていくと思うんですよ。文化庁では、全国の日本語教師養成研修実施機関の一覧をホームページに掲載しているんですが、今、全国の日本語教師養成課程を持つ大学の一覧についても掲載準備をしています。

「日本語教師として社会を現場をより良く変えていこうという気持ちを持って」―増田さんからのメッセージ

瀬尾ま 最後に、今から日本語教師になりたい人やキャリアの浅い人たちに向けてメッセージをお願いいたします。

増田 私も日本語を教える立場にいたんですが、日本語教師はいろいろな国・地域の文化背景を持つ学習者に出会えて、日本語や日本社会を一緒に学びながら、日本語を通じて価値観や感性や夢を共有していくことが純粋に楽しくて、誰かの役に立っていることが実感できる職業でもあるので、やりがいと魅力を感じられる仕事だと思います。ただ、これからの日本語教師には、職人的に日本語を教える技を磨くだけではなく、自分が社会とつながっている感覚というか、日本語教育の社会的な意義や意味を認識してほしいなと思っています。日本語教師が日本語教師として社会に対して向き合って「声」を発信していけば社会を少しずつ変えていけると思うんです。以前、ある学会のパネルに呼んでいただいた時に、「あなたは日本語教師ですか」という問いがあったんです。ドキリとしましたが、迷わずに「私は日本語教師です」って答えました。私は日本語教師として今、文化庁にいるつもりです。日本語教育の専門性を持っているからこそ、今の職務を与えていただいていると思っています。

瀬尾ゆ そうですね。

増田 日本語教師は、学校だけではなく、他の分野や業界でも求められる専門的な職業になっていくと思っています。でも、日本語教師が自分たちの仕事をどう思うか、捉えるかによって、それも変わってきてしまうんです。日本語教師は日本語を教えるだけの存在ではなく、言葉の専門家として社会を現場をより良く変えていこうとする存在であってほしいし、そういう思いのある人とつながって共に行動していくという役割も担っていけるんじゃないかと期待しています。そして、そんな日本語教育の専門家が活躍できる場を国でも地域でも増やしていけるように、声を力に、私がここでやれることを精一杯がんばっていきたいと思います。

インタビューを終えて

瀬尾ま この連載も10回目となりました。さまざまな日本語教育関係者のお話をうかがっていくなかで、日本語教師の仕事は日本語を教えるだけではないというのが見えてきます。その中で、私たち日本語教師の専門性はいったい何なのでしょうか? 日本語教師の資格の議論が進んでいる今、増田さんが「日本語教師たちよ、もっと声をあげてくれ!」とおっしゃるように、当事者である日本語教師の私たちも考え、声を出していく必要があるのではないかと考えさせられました。

瀬尾ゆ 日本語教師の専門性を持ってさまざまな形で社会に向き合ってこられた増田さんのキャリアは、まさに“日本語教育人”のさまざまな可能性を見せてくださるものでした。そして、「あれ?」「おかしいぞ」ということに対して、ただ嘆いたり怒ったりするだけでなく、声を出して動いていくなかでこそ、日本語教師の専門性が発揮されるのだと感じました。


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