日本語教師の資格化を考える「日本語教師のアクション!」レポート

最終更新日

日本語教育に関するさまざまな課題について有識者が話し合う、文化庁の日本語教育小委員会。日本語教師の資格化を議題とした第91回が、2019年2月7日に行われました。それに先立ち、2月4日、小委員会の委員のお1人である神吉宇一氏を囲み、日本語教育関係者が日本語教師の資格化について議論。そのイベント「日本語教師のアクション!文化庁日本語教育小委員会にあなたの声を届けよう」(主催:一般社団法人日本語教育支援協会、共催:日本語学校教育を考える日本語教師の会、会場:早稲田大学22号館207教室)をレポートし、議論の状況を整理します。

index

(1)神吉氏から現状の説明

1.日本語教育小委員会とは?

文化庁の文化審議会(文化の振興及び国際文化交流の振興に関する重要事項の調査審議等)
 |_国語分科会
    |_国語課題小委員会
    |_日本語教育小委員会

現在、日本語教育、異文化間教育、産業界から15名の委員が集められ、日本語教育のさまざまな課題について話し合っている。
第90回までの議事録はすべてウェブ上に公開されている。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/nihongo/nihongo_86/pdf/r1404815_02.pdf

2.日本語教師の資格化についての議論

小委員会ではまず論点を整理。2013(平成25)年2月18日に「日本語教育の推進に向けた基本的な考え方と論点の整理について(報告)」として11の論点が示された。現在は、論点それぞれについての解決策を話し合っている。
上記のなかの論点5が「日本語教育の資格について」である。これについては、2018(平成30)年9月「資格の議論を本当にするのか」→「議論は必要」。11月「資格化するのか」→「何らかの方法でする」。と議論が進んできた。詳細についてはこれから話し合われる。

参考資料:「論点5.日本語教育の資格について」に関する意見の整理と主な論点(案)(第88回日本語教育小委資料より)
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/nihongo/nihongo_89/pdf/r1410432_14.pdf

3.小委員会への一般のかかわり方

委員以外の人が小委員会にかかわるにはどんな方法があるのか。

(1)傍聴:基本的には毎回公開されている。
(2)パブリックコメント:小委員会→国語分科会で議論した素案に対する一般からの意見聴取
(3)委員への働きかけ

パブコメは重要! まず量があるか。それが政策の重要性に関わってくる。少ないと「これはみんな興味が無いんじゃないか」と思われてしまう。前回も募集開始直後は少なかったが、呼びかけて最終的に200くらいになった。まず事務局が全部読み、より分けて委員会に持っていく。

参加者の質問と意見

■ 日本語教育小委員会について

日本語学校経営者A 小委員会での発言に規制はあるのか。

神吉宇一氏(以下「神吉」) ない。議論のポイントについては事前に説明がある。

日本語学校経営者A 発信は制限されているのか。

神吉 議事録が公開される前に発信するのは抑制的。議事録はそれなりの時間がかかるが、すべて出ているので誰でも見ることができる。

【参考】「日本語教育小委員会」(文化庁サイト)http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/nihongo/

大学講師B 委員にはいろいろな分野の人がいるが、専門性に関わる共通理解はあるのか。

神吉 昨年度出した養成研修のあり方の中で整理しているので、委員の認識としてはある。

■関連法案について

参加者C 法律になるまでの過程を教えてほしい。

神吉 「日本語教育の推進に関する法律」が今回の通常国会で出されようとしている。審議は予算の後。これは基本方針と基本的施策などについて書かれたもので、具体的な制度については、その下にさらに法律をつくるのか、省令という形になるのか、まだわからない。

【参考】日本語教育の推進に関する法律案(日本語教育学会サイト)http://www.nkg.or.jp/wp/wp-content/uploads/2018/12/02_horitsuan20181203.pdf

参加者C 最終的な意思決定は?

神吉 委員会で出すのはあくまで報告。それが制度としてどうなるかは政治の話。そこは直接タッチはできない。専門家集団が出したものは尊重されるべきだしされると思うが。世論を作っていく必要がある。

日本語学校主任教員D 文化庁小委員会、法務省の総合的対応策、推進法。三者の関係性がわかりにくい。また、推進法の情報を学校内で共有しても、一人ひとりに行き渡らない。どう伝えていけばいいか。

神吉 小委員会が2016年夏ごろから議論を始め、議連が2016年秋から議員立法に向けて動き始めた。法務省の「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」は昨年6月から。しかし総合的対応策が最初に動いたのは官邸が主導だから。どんどん追い抜かれていっている。官邸が本気になったらこんなにかんたんに進む。中身は決まっていないけど、外国人受け入れは決まっている。

【参考】日本語教育学会 社会啓発事業 情報の収集・調査:議連と総合的対応策に関する資料へのリンク集
http://www.nkg.or.jp/shakaikeihatsu

■日本語教師の資格、どうするべき?

神吉 現職者はどうなるのか不安に感じている人もいると思う。委員に現職者も入っているし、現職者が大きな不利益を被る形にはならないはず。ただでさえ人材不足なのに障壁を設けてせばめてしまうのは難しい。しかし全員フリーパスもどうなのか。資格化は質の保証という意味合いがある。そこをどうするか。
また、ボランティアの方々も「資格化したら私たちはいらないのか」と不安になっている。これまで支えていた人たちが不利益を被るのはよくない。

日本語学校経営者E 資格の制度化は大反対。私たちは補助金をもらっているわけではないし、命令される筋合いはない。外国人受け入れでいちばんベネフィットを受けるのは企業。しかし企業はお金を出さないだろう。どれだけのコストや手間がかかるのかは経営者は分かっている。そこで、(1)目的税などを作って、日本語教育に投入する。(2)ボランティアに420時間の養成講座を受けてもらうのは現実的ではない。簡易版の50〜100時間の講座を制度化した方が良い。(3)日本語面での支援が必要な子供が増えているが、(支援する日本語教師が教員免許を持っていないので)教員免許を持っている人が横に立っていなければいけない状況だ。これを解消して「教職免許(日本語教育)」というのがあればいい。

神吉 個人的な意見だが、外国人受け入れの包括的な法律を作るべき。その中に日本語教育もあるべき。目的税はその大きな枠のほうの話であり、小委員会以上の大きなところで作るべき。
日本語教育は自由な世界で学習指導要領もない。そこに縛りがかかるのが法制化のこわさ。認識しながら進めていく必要がある。
免許の形に関しては、(1)民間資格を公認、(2)国家資格日本語教師、(3)教員免許日本語などいくつかの形が考えられる。政治家は教員免許(日本語)を作りたいという人もいるようだ。学校で支援するのに教員免許があるかないかで立場に差が出てくる。しかし教員免許は教科についているもので、教科ではない日本語教育の免許をつくれるかという問題があるように思う。
また、国家資格に関しては、業務独占資格(医師、弁護士、看護師など、有資格者しか業務を行えないもの)と名称独占資格(介護福祉士、保育士、栄養士など、有資格者だけが名乗れるもの)があるが、日本語教師は業務独占資格にはなり得ないのではないか。共生社会を作るという観点からも業務独占というのはプラスに働かないと思う。名称独占資格が落とし所ではないか。

参加者F 教員免許について、教科についていない養護の先生のような免許もあるので、日本語についてもそういった横断的な資格をつくってもらうといいのではないか。ただ、実際に、小学校へ入って指導していると、一般的な日本語教育だけでなく、学校教育本体に関する基本的な知識が必要なことをひしひしと感じる。

日本語学校主任教員G 日本語教師の資格化が不要という結論になり得るか。

神吉 作る方向でいるが、議論の途中なので最終的にはまだ分からない。個人的には資格化をして法整備に乗っかってほしいと思っている。

大学講師B 資格化のメリットとデメリットは何か。

神吉 議連の総会の第2回でも議員さんから質問が出ている。私が個人的に考えているデメリットは2つ。(1)専門家の中に階層化が起きる。いいことか悪いことかは諸々ある。(2)経営的・日本語学校的な観点。資格化することのメリットは、裏付けがきちんとでき、予算などの措置がとれる。待遇が上がるかもしれない。が、投入できる税金が潤沢にあるようには思えない。政治ということに巻き込まれることをどう考えるか。道徳の教科化を想起する。

参加者H 「階層化」とはどういうことか。

神吉 法制化で「市民」と「専門家」の間に壁ができるのではないか。ボランティアが担っている「地域住民同士の接点をつくる」ということは非常に重要である。そこが「専門性がない」とされ、排除されるようなことになるのは望ましい方向ではないと思う。

大学講師B 母語の保障をしないまま日本語教育を進めていくと怖い。委員会の方であげていってほしい。

■ボランティアの位置づけ

大学准教授J ボランティアをどう位置付けるか。

神吉 2段階に分かれる。学習支援者タイプ市民交流をしたいタイプ。どちらにお金がつくかはわからない。専門性を持っているといえるような研修をやっていくことになるだろう。

参加者H 地域・日本語学校のボランティアの業務内容の中に「日本語支援」と「生活支援」の2種類が混在している。資格化はどこまでを網羅するのか整理する必要があるのでは。

神吉 それは奥田さんのほうが詳しい。

奥田純子(日本語教育支援協会、日本語学校教育を考える日本語教師の会。以下「奥田」) 生活支援と言語習得の支援は別文化庁もそういうスタンス。しかし現場に行くと「分けられない」という声が多い。言語習得の支援についての研修はほとんどされていない。どうやったらいい会話パートナーになれるかとか。実は訓練を受けないといい会話パートナーにはなれない。例えば、(テーブルのポップコーンを見せながら)ポップコーン。生活支援ではいっしょにポップコーンをつくる。それを通して言語能力は高まらない。学習支援なら、ポップコーンを題材にして、「好き」「おいしい」「私の国では……」という自己表現を援助する。それはまったく違うこと。そういう話がようやくできるようになってきたところ。地域で話をしようと思うと、まず切り分けをしないといけないが、先進的な自治体でも難しい。専門家も入って現場に合わせて切り分けていかなければならない。

神吉 基本は分業。外国人やノンネイティブのすべての問題が日本語の問題に矮小化されてしまう。日本語業界で全部抱えるのはよくない
もう一つは、教室型の教師としての分業だけではなく、外国人や異文化の人が社会でうまくやっていくための橋渡しをする、「こういったほうが伝わるよ」というコミュニケーションのマネジメントをする人も必要だ。

参加者H 地域のボランティア教室に行って数回で挫折した学習者がいる。話せるようになりたいのに、書かされた。二度と行きたくないとのこと。居場所にするということが重要。

神吉 地域の人にはさまざまなニーズがある。ゼロ初級と呼ばれる人に専門性のない一般市民が言語学習支援を行うのは無理だと思う。エントリーは専門機関がやるべき。プラス市民の形として何かやる。仕組みの問題。

参加者H それのベースになるのが推進法か。

神吉 地方公共団体の責任ということを明記している。文化庁の予算として4億だったのが8〜9億となった。仕組みとしてその辺は必要。

奥田 大阪大学の青木直子さんが研究をしていた。地域で質的なデータを取っていた。本人たちはメタ的に認知できない。客観的に自分がやっていることを知る必要がある。

参加者F 地域の日本語教室での実践研究をしている。ボランティアで日本語支援をしている方に対する日本語教育の専門性の養成は本当に重要。地域の日本語教室を主催・運営している主体に理念、考え方が必要だ。

参加者H 日本語教師自身が「生活支援」が重要だという意識を持っているケースも多々見られるように思う。そうした意識を変革していくのにも、資格化は意義がある。とどのつまり、「日本語教育の専門家」とはどういう人材なのか? ということを整理する点に尽きるだろう。一例では、手話通訳士は、手話通訳の専門家であって、聴覚障害者の「介助者」ではないが、これが混同される場面も多く見られる。そうした混同をなくすのに「公的資格化」や「倫理綱領」は多少役に立っているらしい。

■日本語教育学会の立場

大学准教授G 日本語教育学会はどう考えているのか。ふんわりしているように見える。

神吉 学会の見解は会長と副会長の4人が考えて、常任理事会や理事会に諮らなくてはいけない。今回、署名活動を学会としてはやらなかった。それは学会として常任理事会で話し合いをして決をとった結果、学術団体として距離を置くことになった。4000人の会員がいるから総意を得るのは難しい。執行部として会長・副会長はもちろん責任を取る覚悟はあるが、4000人分の意思として動くには、抑制的である必要があるというのがいまの見解。
学会の社会啓発委員会はボランティアでやっているので、なかなか進まない。もう少し一般向けになにかできるのではないか、という問題意識はある。
雑談レベルでは、学会として意見を戦わせる場を用意するのはいいかもしれないと話している。個人ではできないような、異分野の人との議論や他学会とのかかわりなど。
また、石井会長が言語系の学会連合で政治的な働きかけに関する連携を呼びかけるなどもしている。しかしそれに対してほとんどの学会から賛同の声は上がらなかった。

■日本語教師の資格は一つでいいの?

日本語学校主任教員G 日本語教師の資格化で気になるのが、くくりが大きすぎること。ITエンジニアもネットワーク系、サーバ系など、それぞれ得意分野がある。日本語教師も、アカデミック系、年少者系などと分けるべきでは。

神吉 医者でも救急科専門医などがある。ベースにあるものができたらその上をつくっていく必要があると思う。全部資格化するということではない

参加者L 文科省が管轄するとして「日本語教師」というくくりしかないのか。国語なら「小学校」「中学校」などある。

神吉 議論としてはそこまでいっていない。最低限、大人と子供というのは分けて考えた方がいいと思うが、あくまで個人的な意見である。

■外国人受け入れと日本語教師

大学准教授M 日本語教師がすべて抱えてはいけないというのは共感する。いま学内で常勤がひとりで、就活支援なども含めいろいろやらされている。資格化することで、「外国人問題はこの人にやらせればいいや」と思われてしまうデメリットがあるのではないか。

神吉 本来は包括的な仕組みをつくったなかで、それぞれの専門家がノンネイティブに対応していかなければならない。横でつながって対応する。そこに傘をかぶせるような法律があるといいなとは思う。だけどそれは小委員会(で議論すべきこと)よりも大きな議論だと思う。

参加者F 日本語教師が外国人問題すべてを抱え込むことではないとは思うが、日本語教育以外の方からは、逆に「日本語教師は日本語を教えることしかしない(「単なる」語学教師)といった認識があるように思われる。(神吉(2016)「日本国内における地域日本語教育・外国人支援の現状と課題」『複言語・複文化時代の日本語教育』の中での調査結果=行政からは日本語教育に関するニーズが低い)。これからの日本語専門家は、日本語教育を軸にしつつ、他の分野のことも把握し、つなげることに積極的になる必要があるのではないか。

大学准教授M 一般の方へ日本語教師の仕事の内容をどうやって伝えていけばいいのか。

神吉 今回署名活動をしていてわかったこと。票が動いた時期は元NHKアナウンサーの堀潤氏がTVで署名活動を取り上げてくれたのと重なっている。メディアの力は大きい。メディアをつかったり、一般の人の目が届くように発信していく必要がある。
批判コメントを見ると、まだ誤解が多い感じがする。「働いていれば自然と日本語は話せるようになる」「どうして外国人に税金を使うんだ」など。日本語教育の枠を超えた形で発信していかなければいけない。日本語か母語か。日本語ができないと困る、という発信。ただし、「日本語が通じない人が増えたら困るでしょ」が「外国人が増えたら怖い」につながってしまうとよくない。

大学准教授M 大きなメディアで発信するのも必要だが、身近にいる人に伝えていくことも必要だと感じている。

神吉 日本語教育としては接点を作ることが重要。

日本語学校主任教員G 地方に寮付きの日本語学校を作るとき、街の人は猛反対だった。「テロリストはいないのか」とまで言われた。連絡協議会を開き、解きほぐした。学生が地域のママさんバレーなどで直に交流したりもした。今では、祭りにも招待してくれるし、「できてよかった」と言ってもらえる。実際に触れ合うことは大切である。

神吉 空白地域である鹿児島県長島町の日本語教室立ち上げのお手伝いをしている。町民文化祭への参加で「日本語教室ができるまで」という劇をした。劇にして見せることで知ってもらう。いろいろな形で接点をもつことが大切。教育機関はどうしても閉じてしまう。

日本語学校主任教員D 来日する外国人が日本社会に受け入れられる過程を考えるのは大切。留学生自身の意見が入らないことに危機感がある。
また、日本語教育は、中高生の多文化共生教育と協働してもいいと思う。地域の学校から日本語学校に連携の依頼がくる。そのような働きかけを学会などでしてほしい。

奥田 現場レベルで高校生や中学生と留学生がもっと交流する場を設ける必要があるそれができるのは日本語学校。小学校も出てきている。高校になると進路と直結することが多い。草の根から盛り上げていって、そこから学会や国際交流協会を揺さぶっていってもらいたい。異文化理解、異文化教育などは他者理解であって、かつ自己理解というのは伝統的なもの。生徒のことを考えると、拙い日本語で話している相手に対し、複言語を使ってどうできるのか、というのを小さい時からすると良い、という研究もある。資格のところに「異文化を知っている」というのが前提としてあると良いinter-cultureのような能力をつけたい。

神吉 CEFRも去年メディエーションスキルを盛り込んだ新しいものを発表した。いい事例をもっとあげられるといい。うまくいかない話ばっかり。われわれも「困ったことありませんか」という営業をしているのかもしれない。

日本語学校主任教員N 頼まれたら断らない。地域からSOSが来たらなんでもやる。小さいことでもつながっていくことが大切。事例(1)地域の教育委員会にボランティア学生を登録している。就学前検診などで通訳をする。ボランティアといっても2000円くらいくれるが、お金の問題ではなくて、自分の国の子供が心細い想いをしているのを助けてあげたいという気持ちが強い。(2)WORLD DAY。学生たちは民族衣装を着て行った。子供たちは日本語を使い、学生たちも一生懸命話す。子供たちは日本の遊びを教える。(3)離島に学生を送り込みサマースクールを開いた。「英語で話したい」と英語学習のモチベーションがあがった。「帰国後もつながりたい」でPCを勉強した。

■海外の日本語教育

日本語学校経営者O 国内教師3万6000人の6割以上がボランティア(編集注:文化庁の平成29年度の調査では国内の日本語教師数は3万9588人で57.2%がボランティア)。海外は6万2000人(編集注:国際交流基金の2015年の調査では6万4108人)。ボランティアにも講習した方がいい。個人的には共生や文化よりも、最低ラインの文法を教えるべき。
また最近は、東南アジアからの留学生は現地で勉強してくるようになった。研修登録制度を作り文化庁が管理すればいい。かんたんな資格をつくれば管理できる。国際交流基金の資料は遅れている。もう3年前のデータを一生懸命集める時代ではない。タイの高校ではどのレベルまで行っているかを公開している。

神吉 確かに日本語教育の中心は実は海外。まず文法を、というのは個人的には意見が違う。教え方、というより学び方をどう支援するか。

日本語学校経営者O 言語間距離の知識も必要だ。

神吉 田中望氏が母語別の日本語教育をもっとシステム化する必要があると言っていた。

奥田 日振協で2年前、第一言語によって習得時間数がどれくらい違うのか、調査するプロジェクトを組んだ。再開したい。文化庁としても1つの指針となる。

日本語学校経営者A 1年間でN3〜N4ということの適切性はなんとなくしかわからない。数字を積み上げていく必要がある。

■最後に

今井新悟(日本語教育支援協会。以下「今井」) 先週札幌でシンポジウムがあった時に、会費3000円を払ってボランティアをしている人の話を聞いた。朝早く起きて会場を抑えに行っている。ノルマも別にない。また、先日の太田市であった集住会議に行って話を聞いたところ、豊橋は年間3000万の予算で少し給料を出して行っているとのこと。法務省としては受け入れ企業がやれという。ツケは市町村になる。誰がやっても押し付け合う。これではダメだ。

神吉 自治体は全国に1800ある。すべての自治体が日本語教育の専門家を雇えるほど専門家もいないし、仕事もない。都道府県と政令市に専門家を置く。広域で何人か置く。法制化のメリットは法的根拠ができること。やりたい職員を後押しできる。またやりたがらないところにも配置することができる。

今井 これまで私は「なんでもボランティアに頼るのはダメだ」とずっと言ってきた。そうは言ってもなかなか変わらないので、ボランティアに対する講義もやっていこうかと思っている。

神吉 時給いくらまでもらえますか? 2万? 5万? 10万? テレビに出ているような人は1時間の講演で100万円というようなこともある。専門性をすべて金銭に換算するわけではないが、この専門性にいくら出せるのかというのは、わかりやすい指標ではある。日本語教育関係者が専門性を持っていると主張するのであれば、1時間10万円を提示されてビビっている場合ではない。専門性に対する覚悟が必要だと思う。

日本語学校経営者A これから違う次元に入っていく。日本語学校を企業が買い始めている。これは世界的な流れだけど、外資が入ってくる悪いことではない。ただどうなっていくかということ。

参加者P 海外に住む日本につながる子供たちの教育も忘れないでほしい。母親が日本語母語話者であるだけでは日本語を習得できない。子供たちが日本語を学ぶモチベーションを持ち続けて、将来、2国間をつなぐ人材になる。

神吉 それは法制化で最後に入った。僕らは空気を読みすぎていた。2018年5月29日の議連の総会の段階でもう法案は固まっているから追加できないと思っていた。でも海外にいる人の「空気読まなさ」はすごい。馳浩議員の講演会に毎回行って毎回質問し、何千という署名を集めて、法案に入れることができた。空気を読むのはよくないと思っていたけど、自分がそうなってしまっていたことに改めて気付かされた。

今井 日本語教師以外にリーチしていかないといけない。次回は日本語教師以外の、政治家やさまざまな立場の人と一緒に何かやりたい。

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